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洞松寺(とうしょうじ/どうしょうじ〔「とうしょうじ」の読みは岡山県高等学校教育研究会社会科部会歴史分科会/編 『新版 岡山県の歴史散歩』 山川出版社 1991年刊 152ページによる 「どうしょうじ」の読みは岡山県ホームページ教育庁文化財課平成22年度の国指定・登録文化財ページによる〕)は、岡山県小田郡矢掛町にある曹洞宗の寺院。山号は舟木山。本尊は宝冠釈迦如来。 ==概要・由緒== 山号の舟木山は、所在地が神功皇后の朝鮮半島出兵に関して兵船の舟材を献上したことに由来していると言われ、当地を仙洞御里といい、松を植樹し「洞松の司」という名を授かったという。 飛鳥時代、天智天皇の行幸の時、洞松の司の松は天覧をうけ、興福寺の光照菩薩を勧請し、仏閣を建立、法相宗舟木山洞松司院として創建されたと伝えられている。後に和気氏により七堂枷藍が整備された。36坊を有したとされる。 寿永3年(1184年)安徳天皇が西海に遷幸のときに、その船が大破した。そのときに船材数百本を献じ、洞松司院を洞松寺と改称したとされる。 中世期には衰退していたが、室町時代になり、応永19年(1412年)に喜山性讃が猿掛城主庄氏の依頼により中興した。喜山性讃は師の恕仲天誾(じょちゅうてんぎん)を開山とし、自らは第2世となった。 布教数年にして、四方より修行僧が集まり大道場となった。弟子に茂林芝繁・霊岳洞源禅師などあり禅風を高揚した。 5世崇芝性岱禅師以降は輪番住持制(末山・門葉住職が順次交代し、本寺の発展を期する制度)が敷かれ、明暦年間(1655年 - 1657年)まで約200年間80世に及んでいる。 その後は合議して、独住制となり、特住6世天叟寿覺老師を迎えている。 洞松寺文書と呼ばれる古文書43通が現存しており、室町時代から戦国時代の(文安5年(1448年)より慶長4年(1599年)にかけて)の田地沽券、寄進状、寺領関連の文書で、当時の備中国南部の経済活動が窺える資料である。平成16年(2004年)に岡山県の重要文化財に指定された。現在は、やかげ文化センターに寄託されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「洞松寺 (岡山県矢掛町)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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